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伊藤理恵コラム

2015年7月30日 | 伊藤理恵コラム

Vol.2 ピアノが教えてくれること

ベーゼン

 

ピアノという楽器は厄介だ。オルガンほどではないにしろ、容易に持ち運びが出来ない上、場所を取り、おまけに大音量を響かせる。およそ日本の住宅事情には似合わない。プロの演奏家でも、理想的な音響空間に良い楽器での練習環境を持つのは難しい。

私事で恐縮だが、私は演奏活動を休止した際に楽器を売却し、10年ほどの間ピアノを所有していなかった。去年まではアップライトしかなく、現在は一応小さなグランドではあるが表情に乏しく、部屋の音響も限りなく無残響に近い。ゆえに練習の多くの部分はイメージトレーニングとなる。無反応な楽器を、恐らく本番のコンサートグランドならこう鳴るであろうと、頭で想像しながら弾くわけだ。しかしこれには限界がある。練習では12色しかないのに本番では120色の絵の具を使って絵を描くような。あるいは、練習ではいつも軽自動車で、本番ではレーシングカーでサーキットを走るようなものだ。

だから、外に練習に出ることが自ずと必須になってくる。
練習のために放浪するのは色々な面でしんどいが、異なる条件の様々なピアノを弾くことは、効果的な訓練になることも確かだ。ピアノから自分の音を引き出すために。例えば公民館のくたびれたピアノや、ドラムセットのある暗いスタジオのホンキートンクなピアノでも、耳を澄ましてその音を聴き、その楽器の現状で最善の音を探す努力をすることは、決して無駄ではない。

とはいえ、そんな楽器と付き合ってばかりでは、演奏に創造的な刺激は一向に得られない。

敏感で変幻自在の音色を持つスタインウェイや、重厚でオーケストラのように響くベーゼンドルファーといった一流楽器メーカーのピアノは、手作りで個体差が激しく、調整も難しいから、必ずしも良い状態とは限らない。また気難しかったり、自分に合わない個性を持った楽器も多い。それでも、ピアノを征服しようとしてはいけない。喧嘩腰で挑めばあちらも攻撃的な音で反撃してくる。そして奏者がピアノの「声」に耳を傾けながら、楽器との共同作業をしていけば、たくさんのことに気づかされるだろう。演奏への新たなアイディアや、作曲家の意図に近づくヒント。ほんとうの音の出し方。響かせ方。歌わせ方。

これは理想の音を探っていく上でとても重要であり、またこの上なく楽しいことでもある。

優れたピアノと仲良くする機会を得るのはそう簡単ではない。でも出来るだけ多くの時間を共に過ごせば、ピアノは少しずつ、大切なことを教えてくれるだろう。